生野代官所

別名 生野平城
   御陣屋
付近住所 朝来市生野町口銀谷546 現在 生野小学校
2004/8/17 案内板アリ 日本城郭大系


山名氏→
太田垣氏→
織田氏→
豊臣氏→
徳川氏

天文11年(1542)山名祐豊は生野銀山経営の拠点として生野城を築城しました。三層の天守閣、隅櫓、外堀をそなえた城で、侍屋敷、町家、寺社も整い繁盛したと記録に遺されています。その後、銀山の経営は太田垣、織田、豊臣と変わり、関ヶ原の戦いを経て徳川氏に帰属し、この城の本陣を代官所としました。寛永6年(1629)には天守及び隅櫓を取り崩しましたが、270年にわたって銀山経営の中心でした。明治維新により銀山は政府直轄となり、明治2年(1871)生野県が豊岡県に統合されると同時に建物は除去され、城壁と外堀のみが残りましたが、大正末期には全部が取り壊されました。

  生野義挙碑

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